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日本ペイントHD会長に革新投資機構前社長の田中正明氏就任 「私の経験生かせる」

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日本ペイントHD会長に革新投資機構前社長の田中正明氏就任 「私の経験生かせる」


 日本ペイントホールディングス(HD)は27日の定時株主総会後に開いた取締役会で、代表取締役会長に産業革新投資機構(JIC)前社長の田中正明氏を選任した。田中氏は大阪市内で記者会見し、JIC退任後に複数の企業から経営参画を打診されたと説明。同HDを選んだ理由は「改革意識を持ち、グローバル化の体制も整った成長企業。私の経験が生かせる」などと述べた。

 日本ペイントHDは海外事業が売上高の7割を占める。米銀行で頭取経験もある田中氏の国際的な人脈や知見を生かし、海外事業を強化したい考えだ。田中氏は今後の事業戦略について「海外展開はM&A(企業の合併・買収)も含めて積極的に行う」と語った。

 同日の株主総会では、取締役の報酬総額の上限を年10億円から20億円に引き上げる議案も可決された。田中氏は会見で「報酬で仕事を選んだわけではない。報酬は指名報酬委員会で決めていただくこと」とした。

 田中氏は昨年12月、JIC取締役の高額報酬や投資方法をめぐり、所管する経済産業省と対立し、社長を辞任。日本ペイントHD筆頭株主のシンガポール塗料大手、ウットラムグループ代表のゴー・ハップジン氏と親交があり、HD会長就任の要請を受けた。

 経済産業省は26日、最大で年1億円超だったJIC経営陣の報酬を3000万円台程度とする新たな指針を発表したが、田中氏は会見で「JICに関するコメントは差し控える。方針も見ていない」と述べた。


岸谷香、長男の名門高校中退と夢 重ね合わせた自身の過去

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3月中旬、都内で買い物をする香

《チビゴにおいても、あの時私が想像した5年後は、今と全く全然本当に違う。チビゴは頑張った努力が実り、家族みんなで喜んだ。でも、5年後の今は、あんなに行きたかったその学校にはもう居ません》

 受験シーズン真っただ中の2月上旬、ブログにこんな投稿をしたのは元プリンセス・プリンセスのボーカル、岸谷香(52才)である。

 今年5月にニューアルバムをリリースしてライブ活動を開始する彼女が、愛する「チビゴ=長男」の高校中退という衝撃の事実を告白したのだ。岸谷の長男は2014年に都内の私立中学を受験した。

「香さん自身、超難関で知られる都内の国立大学の附属小学校に入学したものの、中学時代にバンド活動に明け暮れて附属高校への内部進学に失敗し、大学に行けなかった。“学歴コンプレックスがある”と認める彼女は、子供たちに同じ思いをさせないよう、大学まで進める一貫校を受験させました。

 夫の岸谷五朗さん(54才)は教育にあまり口を出さず、お受験に奮闘したのはもっぱら香さんで、長男が中学受験する時は毎朝5時半に起きて、お弁当作りや学校や塾への送り迎えをしていました。入学願書を提出する際は、郵便局で“期日に届くのか届かないのか”で揉めるなど、熱血“お受験ママ”になっていました」(岸谷家の知人)

 苦労の甲斐あって、長男は第一志望の名門中学に合格した。この時、岸谷はブログでこう喜びを爆発させた。

《遂に、長かった受験地獄が、終わりました。チビゴ、バッチリ欲しかった合格を勝ち取ってきましたーーー》

 その後、長男は高校に進み、この春からは名門私立大学に内部進学――というのが親子が描いたシナリオだった。

 ところが冒頭のブログで岸谷が明かした通り、長男はせっかく進学した高校を中退していたのだ。前出・岸谷家の知人が言う。

「高校2年生の時、長男が“どうしても今のうちに語学を学びたい”と留学を希望したんです。香さんと五朗さんは、“大学入学後でも”と反対したそうですが、長男の意志は固かった。香さんは“息子の思いはわかるけど、それを尊重するのが親として正しいのか”とすごく悩んでいました」

 それでも、何度も家族会議を重ねて悩み抜いた岸谷が出した答えは、「高校をやめてもいいよ」だった。

「長男の真剣な思いを聞くうちに、香さんはかつての自分の姿を思い起こしたそうです。長男と同じ年の頃、香さんはバンド活動に専念するため高校を中退することを両親に許してもらった。だからこそ彼女は、“あの時、両親の理解がなかったら私はプリプリになれず、『ダイアモンド』や『M』も誕生しなかった。だから私もチビゴを応援しよう”という気持ちになって、退学を認めたんです。今、その胸中をブログで吐露したのは“受験に熱くなっている”お受験ママたちへの彼女なりのメッセージだと思いますよ」(前出・岸谷家の知人)

 現在、長男は念願かなってアメリカに留学中だ。

「お母さんと同じく音楽活動もしていて、いつの間にか髪の色が緑やピンクになっていた(笑い)。長男の留学先はかなりハイレベルとか。また新たなサポートが始まるようです」(前出・岸谷家の知人)

 どんな道を進もうが、彼女にとって長男が「ダイアモンド」であることに変わりはない。

※女性セブン2019年4月11日号

「自然治癒力を上げる食べ物」ベスト5発表、識者が選ぶ

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自然治癒力を上げる食べ物1位は納豆(写真/PIXTA)

「コーヒーを飲むとがん予防になる」「コーヒーを飲みすぎるとがんになる」両方ともネットやメディアでいわれていることである。「何を食べれば健康にいいか」の情報はそれだけ諸説あり、あやふやなものだということ。そこで、医師や管理栄養士など「食と健康のプロ」25人にアンケート調査を実施。体にいい食べ物は数あれど、その中でも特に「これだけは食べてほしい」という食品を「自然治癒力を上げる食べ物」としてランキング化した。

 以下の25人の「食と健康のプロ」に「自然治癒力や免疫力を上げる食べ物ベスト5」を挙げてもらい、1位を5点、2位を4点、3位を3点、4位を2点、5位を1点として集計。合計点が多かった5つの食材は後述の通りだ。

磯村優貴恵さん(管理栄養士)、今津嘉宏さん(医師/芝大門いまづクリニック院長)、宇多川久美子さん(薬剤師/管理栄養士)、金丸絵里加さん(管理栄養士)、岸村康代さん(管理栄養士/フードプランナー)、工藤孝文さん(工藤内科副院長/ダイエット外来担当)、小峰一雄さん(歯科医師/「自然治癒力が上がる食事 名医が明かす虫歯からがんまで消えていく仕組」著者)、佐藤桂子さん(医師/肥満外来専門医)、柴亜伊子さん(医師/あいこ皮フ科クリニック)、島野眞澄さん(管理栄養士/オーソモレキュラー栄養カウンセラー)、伊達友美さん(管理栄養士/ダイエットカウンセラー)、鶴見隆史さん(鶴見クリニック理事長/医学博士)、中沢るみさん(管理栄養士)、中戸川貢さん(加工食品ジャーナリスト)、浜本千恵さん(管理栄養士)、福田一典さん(医師/「福田式がんに勝つ最強スープレシピ」著者)、藤岡智子さん(栄養士/フードライター)、藤田紘一郎さん(医師/免疫学者)、星子尚美さん(医師/星子クリニック院長)、堀知佐子さん(管理栄養士)、本間良子さん(医師/スクエアクリニック院長)、松村圭子さん(医師/成城松村クリニック院長)、望月理恵子さん(管理栄養士)、矢澤一良さん(早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構教授)、済陽高穗さん(医師/西台クリニック院長)

【自然治癒力を上げる食べ物ランキング】

◆第1位:「納豆」62点

「自然治癒力を上げるには、腸の健康が第一。そのためにいちばんいい食べ物は、やっぱり納豆」(浜本さん)
「食物繊維に加えて、女性ホルモンを増やす作用や抗酸化作用のあるイソフラボン、骨粗しょう症対策に不可欠なビタミンKが豊富。また、大豆に含まれるたんぱく質には体脂肪軽減やメタボ対策効果がある」(岸村さん)
「たんぱく質分解酵素ナットウキナーゼには血栓を溶かし、血液をサラサラにする働きがある。ただ、熱に弱いのが難点」(宇多川さん)
「免疫作用のある納豆菌やポリグルタミン酸、レバンが一緒に摂れる“完全食”」(堀さん)

“地方政界のドン”になる条件は「知事の後ろ盾になる」こと

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首相でも頭が上がらない人はいる?(時事通信フォト)

 4月に行なわれる統一地方選を前に、永田町が慌ただしい。国会議員の選挙マシンとなるのは、地元の有権者に密着する県議や市議たちだからだ。

 かつて内田茂氏(80)が、「都議会のドン」と呼ばれたことは記憶に新しいだろう。こうした「ドン」は東京だけでなく、各地に存在する。地方政界のドンになると、議長や副議長ポストを配分することで議員を束ね、県や市の事業や役人人事に影響力を持って業界を仕切り、地元で「票とカネ(選挙資金)」を握ることで国会議員も逆らえないほどの力を持つ者が現われる。

 大臣経験者はおろか、安倍晋三首相(64)や菅義偉・官房長官(70)ですら、そうした地元有力者の顔色を窺わなければならない。

 当選9回を数える愛知県議会の実力者、水野富夫・県議(69)の事務所は早朝から門前市をなす。

「水野さんの個人事務所は毎朝6時10分に開かれるが、その時間には列ができている。県議や県庁の課長クラスの職員から、中央官庁の役人や自衛隊幹部まで午前中だけで毎日30人くらいやってくる。

『オレは隠し事はしない』が水野さんの口癖で、会って話をするのは全員一緒。人はどんどん入れ替わっていくが、座に加われば自然に県の情報が入ってくる。選挙になれば中央の大物政治家の為書き(*注)をもらってくれたり、困った時に泣きつくとなんとかしてくれる」(地元議員)

【*注/候補者が支援者にもらう選挙応援ポスターのこと。選挙事務所に貼り出される】

イチローはなぜ引退後もトレーニングを続けるのか

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イチローは引退後も打撃の求道者であり続けるのか(時事通信フォト)

「多分明日もトレーニングはしていますよ。じっとしていられないから、動き回ってますね。ゆっくりしたいとかは全然無い。動き回ってますね」──3月21日、イチローは引退会見で「これからは、野球に費やしてきた時間とどう向き合うか」と聞かれ、平然とこう言った。

 イチローと親交のある和田アキ子は、『アッコにおまかせ!』(TBS系)で24日朝に電話で話したことを打ち明け、「何してたの?って言ったら、トレーニングしてるって。試合には行かないけど、健康のためにはトレーニングは必要だって」と会話の内容を披露した。だが、本当に“健康のため”だけに体を動かしているとはにわかに信じ難いだろう。

 なぜ、イチローは引退後もトレーニングを続けるのか――。

 日米通算4367安打という大記録を打ち立てたイチローの気持ちを理解できるのは、同じような境遇に立つことができた者だけかもしれない。

 イチローが尊敬してやまない“世界のホームラン王”である王貞治は、1980年11月4日に引退を表明。会見の最後、王はこう語っている。

〈バッティングは難しい。自分のタイミングで自分のポイントでいかに球をとらえるか、二十二年間やりましたが、つかみきれないまま、きょうを迎えました〉(毎日新聞・1980年11月5日付)

 空前絶後と思われる通算868本塁打を放った王でさえ「バッティングは難しい」という言葉を残して、現役生活にピリオドを打った。

 引退と同時に巨人の助監督に就任した王は、会見翌日、多摩川グラウンドに姿を見せると、おろしたての圧縮バットを手にケージに入り、40スイングでサク越え5本を記録。現役最後となる東西対抗戦や秋のオープン戦が控えていたとはいえ、引退直後も現役時代と同じように練習に励んだ。

佐々木あき、集大成のラスト写真集からの1枚と引退理由

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 佐々木あき(39)は2015年10月にデビュー後、美人人妻女優として活躍し、昨年はSOD AWARD女優賞も獲得。今後の活躍が期待されていたが、突如引退を表明した。

「3年間の日々はあっという間でした。振り返るとつらいことや大変なことの方が多かったと思います。でも色んな人に出会えたり、一緒に作品を作る楽しさを味わえたり、3年間で人生の勉強もたくさんさせていただきました。引退の決断は子供への影響を考えてのことです。今更?と思われるかもしれませんが、現実を考えると長くは続けていけないと思いました」

 3年間の集大成となるラスト写真集は、クラウドファンディングで426人から763万円の支援を集めて実現した。

「今までの私の写真集にはない、自由な感じで作らせてもらいました。衣装もパターンがはっきり分かるようにスタイリストさんが工夫してくれました。顔やポーズも自然体の私を見てもらえるようにしました」

※週刊ポスト2019年4月5日号

生田悦子さんが選んだお墓 夫が明かす「母への愛情」

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生田悦子さんが持っていたどうしても譲れない信念とは


 死を前にした各界の著名人は、愛する家族のためにどんな「生前手続き」を行っていたのか──。昨年7月に亡くなった女優の生田悦子さん(享年71)は、「娘から母」への生前の思いを、夫がサポートした珍しい例だ。

 最高視聴率38.8%を記録した『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(1981年)やドラマ『白い巨塔』(1978年、ともにフジテレビ系)で人気を得るも、48才の時に更年期障害に伴う、うつ病を発症。一時は芸能界引退を考えるほど悪化したが、治療を受け、57才で実業家の村田陽一さんと結婚した。つらい闘病体験からか、結婚生活ではシンプルで必要なものだけを求めたという。村田さんは懐かしさに目を細める。

「ぼくと結婚してからは、『毎日舞台で同じせりふを言ったり、同じ衣装を着るのはもう嫌』『自分が本当においしいと思うものを、好きな人と好きな場所で食べたい』と主張するようになり、仕事をずいぶんセーブしていました。還暦を目前に迎えた正直者の彼女らしい生前整理だったのかもしれません」

 料理上手で、部屋の片づけも得意だったという生田さんは、虚血性心不全で急死してしまうが、そのキッチリとした性格に、村田さんは生田さんの死後も助けられたという。

「普段からしっかり整理整頓ができていて、おかげで通帳類や宝飾品の場所は日頃からシェアできていました。あとは、水やトイレットペーパーなどの日用品を大量にストックしてくれていたことも助かった。葬儀の手配でバタバタしたり、心労が重なると、日常の些細なことには手が回らなくなってしまうので」(村田さん)

 夫への深い愛情を抱いていた生田さんだが、ひとつだけ、どうしても譲れない意外な信念を持っていた。それは「母親と同じ墓に入る」ことだった。

「2人は決して良好といえる仲ではありませんでした。義母は、妻を銀座のクラブに売り飛ばそうとしたり、妻が女優としてブレークした後も、妻子ある男性と心中未遂事件を起こし、それによって妻は仕事をすべてキャンセルする羽目にもなりました。しかし、散々振り回されたにもかかわらず、妻は母親を見捨てることができなかった。義母が亡くなるまで30年間、毎月の仕送りを欠かしませんでした」(村田さん)

 生前、生田さんとともに母親が眠る福岡の墓にもお参りをしたという。

「母親の墓前で、『この墓に入りたい』と言った時の妻の表情から、本当に彼女が母親を愛していることを感じました。私は長男で、村田家の墓もありますが、妻の遺志を尊重してあげたくて『わかったよ、そうするよ』と返事しました。まさか本当に彼女が先に逝ってしまうとは思いませんでしたが…」(村田さん)

 現在、生田さんは母親の墓で眠る。村田さんは自らの命が尽きたら、この墓に入って、愛する妻と、妻が愛する母と3人で永眠するつもりだという。

※女性セブン2019年3月28日・4月4日号

成婚率80%を誇る婚活アドバイザーが送る、本当の幸せを掴むための婚活テクニック

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『なぜか9割の女性が知らない婚活のオキテ』植草 美幸 青春出版社


 以前、BOOKSTANDニュースでご紹介したこともある『男の婚活は会話が8割 「また会いたい」にはワケがある!』。婚活を成功させるための会話術について男性向けにレクチャーした一冊でしたが、女性向けに書かれたものが『なぜか9割の女性が知らない婚活のオキテ』といえるかもしれません。

 著者は、結婚相談所マリーミー代表で、婚活アドバイザーとして成婚率80%を誇るという植草美幸さん。「”出会えない”には理由がある」ということで、本書では勝手な思い込みや逆効果な行動などNGな婚活の取り組み方に警鐘を鳴らし、本当の幸せをつかむための婚活テクニックを教えてくれます。

 本書ではチャプター1の「出会い」に始まり、「デートまで」「初デート」「2度目以降のデート」「おうちデート」「家族に会う」「結婚が決まるまで」「婚約から結婚まで」とチャプターごとに順を追って、それぞれのNGを詳しく解説しています。

 たとえば「合コンや婚活パーティーに積極的に参加する」。これは一見、婚活を成功させるにはとても有効な方法に思えます。でも、植草さんからすると”NG”! なぜなら「そもそも合コンは遊びの場であって、結婚相手を探す場ではありません。婚活パーティーにしても、”婚活”とついているだけで、合コンと同じ。真剣に結婚を考えている人が参加するところではないのです」「本気で考えているなら、合コンや婚活パーティーは、いい加減、卒業しましょう」とのこと。そのほか、友達の紹介や出会い系アプリ、フェイスブックなどで相手を探すのも植草さんはNGとしています。

 デートをスタートさせて以降もNG事例はいっぱい。「勝負服でデートする」「お店やメニュー選びは、常にお任せ」「デート後すぐに、お礼のLINEやメールをする」「手料理をふるまう」などは避けるべきだそう。なぜダメなのか……その理由はぜひ自身で読んで確かめてみてください。

 皆さんの中には本書を見て「こんなにもやっちゃいけないことがあるなんて!」とオキテの多さに驚く人もいるかもしれません。けれど、本書はあくまでも「結婚というゴールへたどり着くためのテクニック」が書かれた一冊。自由な恋愛を楽しむのではなく、結婚という明確な目的を果たすためには”正しい戦略”というものがあるのだということを感じさせられます。

 日本では現在、18歳から34歳までの女性の約6割に恋人がおらず、30代後半の未婚男女にいたっては約8割に恋人がいない状況だと本書ではふれています。正直、結婚願望がある人にとってはなかなか苦しい現状といえますが、だからこそ、正しいテクニックを知ることが効果的となってきそうです。

 そう考えると、「出会いがない」「周りにいい男性がいない」と言っている女性は、もしかしたら戦略ミスを犯している可能性も……。本書をうまく活用して”婚活のオキテ”を身に着け、楽しく戦略的に行動すること。これこそが結婚への最短距離になりうることもあるかもしれません。


子ども名義の預金口座を作ろう!作り方と知っておきたい注意点

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子ども名義の預金口座を作ろう!作り方と知っておきたい注意点


激しい痛みと戦い対面したわが子、いとおしくてたまらないことでしょう。パパもママも喜びと幸せにみちあふれると同時に、一人の人間を育てていく大きな責任感が芽生えたかと思います。他の誰にも負けないくらい幸せになってほしいと願います。親としてできることはまず命名と、子ども名義の預金口座を開設することです。この記事では、預金口座の作り方やおすすめの貯蓄方法、知っておきたい注意点をまとめました。参考になればと思います。

子ども名義の預金口座の作り方

子どもが小さい(赤ちゃん)などの理由により、子ども本人が申込書に署名できない、捺印できない場合、親権者の代理手続きで口座を開設することができます。最近では利用目的を口頭で聞かれることもあるとのこと。「教育資金を貯めておくため」「お祝い金の管理をしておくため」などといった理由を答えるのが良いでしょう。
次に口座開設時に必要な書類と、おすすめの預金口座の種類について述べていきます。

口座開設時に必要な書類

必要な書類は以下の四つです。銀行へ行くときにお忘れになりませんように!

ママの本人確認書類:運転免許証や保険証など、ママ本人であることが確認できるもの

子どもの健康保険証

印鑑:届出印として銀行に申請できるもの(この期に新しい印鑑を一つ作ってもいいですね)

現金:口座開設時にいくらか入金しなくてはいけないため(金額の決まりはありません)

「自動積立定期預金口座」がおすすめ

「自動積立定期預金口座」とは、パパもしくはママ名義の口座から、新しく作る子ども名義の口座へ自動的に毎月定額のお金を積み立てすることができる預金口座のことです。
毎月決まった日に自動的に積み立てができるので、ほうっておいても子どもの口座へ預金ができる大変便利なシステムです。知らないうちにまとまった金額が預金できるので、子どもの将来の教育資金や結婚資金などにあてることができます。

知っておきたい口座開設後の注意点

口座を開設した後も、そのまま放置するのではなく、定期的に記帳するなどして管理をおろそかにしないようにしましょう。大きな注意点として「贈与税の問題」と「通帳管理問題」についてお教えします。

1.贈与税の問題

贈与税とは?贈与税がかからなくする方法

一般的には「個人からの贈与による財産の移動に課せられる税金」のことを贈与税と言います。
贈与税は申告税なので、万が一申告を忘れてしまった場合は「脱税」としてみなされることもあるので要注意です。申告をしなくて済むように、子どもの預金口座への入金は少額ずつが基本です。

贈与税の特例措置について

2015年度税制改正によると「結婚や育児にかかる資金であれば、1000万円までを子や孫(20歳以上50歳未満)にまとめて贈与しても贈与税はかからない」という特例があります。まとまった額を贈与する場合は、この特例措置について調べてみてください。

2.子どもが成人した後の通帳管理問題

子どもが成人したときに起こりやすい問題が「通帳管理」です。子どもが未成年のうちは、親が代理人となって管理できるので、引き出しも可能です。しかし子どもが成人した段階で、親が開設して預金していた通帳だとしても、その通帳は子ども本人のものとなります。よって預金してあるお金を出金しようとしても、子どもの委任状がなければ、親が勝手に引き出しすることができなくなるのです。
子どもの成人を期に、通帳と印鑑を渡すならば何もしなくて良いですが、渡すのはもっと先に、とお考えであれば通帳管理について十分に気をつけてください。入り用でいつ引き出すか予想がつかない場合は、ある程度の額を親の口座へ移しておくことがベターです。
※銀行によって詳細条件が異なる場合がありますので、窓口で相談してみてください。

貯めた預金の使い道

漠然と「将来のわが子のために」と預金を始めた方も多いかと思います。漠然でもまったく問題ありません。子どもを育てていくには相応のお金がかかります。子どもの進学、就職、結婚、出産など人生のステージがかわるとき、親がしてあげられる具体的な方法は、やはりまとまった金銭の援助ではないでしょうか?預金の使い道はさまざまあると思います。子どものための使い道を次にご紹介していきます。

教育資金として

平成28年度に実施された「子供の学習費調査」によると、幼稚園~高校卒業までにかかる教育費総額は、公立でも約540万円、私立だと約1770万円もかかるという結果が出ています。小中高の入学時には準備費としてまとまった支出を覚悟しなければなりません。十分な教育を受けさせてあげるためにも教育資金は預金しておきましょう。

「ショーケン」萩原健一さん死去 68歳 『傷だらけの天使』

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「ショーケン」萩原健一さん死去 68歳 『傷だらけの天使』


 「ショーケン」の愛称で親しまれ、テレビドラマ「傷だらけの天使」などでの個性的な演技で知られる俳優で歌手の萩原健一(はぎわら・けんいち=本名・敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍のため、東京都内の病院で死去した。68歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻、理加(りか)さん。本人の意向で病気は公表せず、平成23年から闘病していたという。

 昭和42年に「ザ・テンプターズ」のボーカルとして10代でデビュー。「神様お願い!」など多くのヒット曲を送り出し「ザ・タイガース」の沢田研二さんと人気を二分した。

 女優の岸惠子さんと共演した47年の映画「約束」で俳優に転身。同年に始まったテレビドラマ「太陽にほえろ!」で新人刑事のマカロニ役を好演し、俳優としての人気を決定づけた。影のある役柄を得意とし、水谷豊さんとのコンビで社会から疎外された若者を演じた「傷だらけの天使」や倉本聰さん脚本の「前略おふくろ様」などのドラマでも高視聴率を獲得。神代(くましろ)辰巳監督「青春の蹉跌」や黒澤明監督「影武者」など名匠の映画でも存在感を示し、58年に「誘拐報道」で、61年には「恋文」などでそれぞれ日本アカデミー賞主演男優賞の優秀賞を受けた。

 サントリー「モルツ」などのテレビCMにも出演。昨年、NHKのドラマ「不惑のスクラム」でラガーマン役を演じていた。

ショーケン死去 アウトロー、純朴な青年…個性派俳優として活躍

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ショーケン死去 アウトロー、純朴な青年…個性派俳優として活躍


 萩原健一さんの芸能活動はグループサウンズの歌手としてスタートした。その後、映画出演をきっかけに俳優としての才能を発揮。ぶっきらぼうなせりふ回しが特徴で、アウトローから純朴な人物まで幅広い演技ができる個性派俳優として活躍した。

 俳優として本格的に活動するきっかけとなったのが映画「約束」(昭和47年、斎藤耕一監督)。そして、お茶の間に人気が広がったのは、テレビドラマ「太陽にほえろ!」(同年)への出演だった。マカロニ刑事役を演じ、壮絶な殉職シーンは視聴者の間で大きな話題となった。映画「青春の蹉跌(さてつ)」(49年、神代辰巳監督)では、学生運動から足を洗い、社会的な成功を求めるうちに恋人を殺害するに至る青年役を熱演。ドラマ「傷だらけの天使」(同年)では、社会からはみ出した若者を魅力的に演じ、屈折したアンチヒーローとして当時の若者たちに強い影響を与えた。

 一転して純朴な青年を演じたのが、倉本聰さん脚本の「前略おふくろ様」(50年)。萩原さんが母にあてた手紙を読み上げるナレーションにはしみじみとした味わいがあり、ショーケンの見せた意外な一面が高い人気を呼んだ。

 その演技は巨匠からも認められ、黒澤明監督「影武者」(55年)に武田勝頼役で出演を果たす。

 一方、58年に大麻所持で逮捕され、一時芸能活動を停止。その後も私生活でのトラブルで週刊誌などを賑わすことがあった。

 最近では昨年9月、地上波の連続ドラマ「不惑のスクラム」(NHK)に出演し、ラガーマン役で元気な姿を見せていた。

 平成29年7月の産経新聞のインタビューに「これまで飄々(ひょうひょう)と生きてきた。期せずして俳優と歌手として活動することになった」と振り返っていた。

 今月17日にミュージシャンの内田裕也さんが79歳で亡くなった際は、「近々、企画書をもって裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥様のご不幸があり、タイミングを逃しました」と、コメントを寄せたばかりだった。24日には妻の理加さんが、自身の公式サイトに、夫婦でトレーニングに励む写真を掲載。元気な姿を公開していたが、理加さんによると、容体が急変し、26日に「眠る様に息をひきとりました」という。

医師も見つけられない「ゴースト虫歯」防ぐにはフロスの習慣を

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「ゴースト虫歯」とは?(著者撮影)

“すでに何らかの歯科治療を受けた患者”が、歯を守るために知っておいたほうがいい最新常識が数多くある。

◆銀歯を外すなら、どこで治療すればいいのか

 銀歯の下で虫歯が再発するリスクがある以上、外して別の被せものにする方法があるが、注意が必要だ。

 最近は、銀歯からセラミックに変える「メタルフリー」を患者に勧める歯科医院が増えている。

「一生モノですよ」というセールストークで勧められるというが、額面通りに受け取ってはいけない。虫歯治療の第一人者である、東京医科歯科大学・副学長の田上順次氏は、こう解説する。

「セラミックや金合金などで治療すれば一生モノ、という人もいますが、長寿社会になった時代に、それを保証するのは難しいのではないでしょうか」

 歯を大きく削るという点では、銀歯もセラミックも本質的には同じだ。やはり銀歯から変えるのであれば、レジンが有力な選択肢になる(*注)。

【*注/銀歯のクラウンは、レジンで対応することは難しい】

【動画】韓国人はなぜ今「日本叩き」に躍起になっているのか

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 経営コンサルタントの大前研一氏が、韓国の日本バッシングを分析しました。「背景には南北統一に向けた韓国人の高揚感がある」とのこと。

 

【著者に訊け】吉田修一氏 待望の続編『続 横道世之介』

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作家の吉田修一氏

【著者に訊け】吉田修一氏/『続 横道世之介』/1600円+税/中央公論新社

 人間の温かい感情を描いた人気作で、2013年に高良健吾主演で映画化もされた吉田修一著『横道世之介』(2009年)には、続きがあった!

 舞台は長崎から上京し、恋と友情とサンバサークルに熱中する18歳の世之介を描いた前作の6年後。留年が元でバブル最後の売り手市場を逃し、バイトとパチンコで食い繋ぐ24歳の彼が、社会の片隅でもがきつつも、その人の好さと押しの弱さで周囲に少なからぬ影響を与えていく姿が、1993年当時の風俗と共に描かれる。

 が、私たちは前作で知っている。彼が後に報道カメラマンとなり、ある日、駅のホームから転落した女性を助けようとして命を落としたことを。そう。本作はそんな彼だから過ごしえた、善意の青春小説なのだ。

「この作品は映画が本当に素晴らしかったですし、世之介ってホント読者に愛されてるなあと、僕自身実感する10年間でした。ただ続編執筆は全く頭になくて。中公が創刊する小説誌での長編を依頼された時に、創刊号なんて荷が重いな、誰か伴走者がいないかなあと思ったら、いたんです、世之介が(笑い)。編集者もみんな驚いていましたが、たぶん誰より僕が、彼に会いたかったんだと思います」

 作中に〈人生のダメな時期、万歳〉とあるが、昼は品川にある社員5名の海藻問屋、夜は新宿のバーで働く世之介は、同じ留年組で〈山二證券〉に入社した〈コモロン〉と飲んでは愚痴り合い、休日はパチンコ屋に朝から並んで、不愛想女〈浜本〉と台を取り合う毎日だ。

妻が明かす元TBS山本文郎さんの終活「大変だったのは年賀状の整理」

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元TBSアナウンサー・山本文郎さんの妻・由美子さん(撮影:石井祐輔)


 今年は相続法が40年ぶりに改正され、施行元年となる。課税対象となる被相続人は年々増加傾向にある中、「生前の手続き」について、誰もが無関心ではいられなくなった。そのやり方も、各家庭でさまざまだ。

 晩年に結婚した夫婦の生前整理について包み隠さず語ってくれたのは、元TBSアナウンサー・山本文郎さん(享年79)の妻・由美子さん。

 妻に先立たれて独り身だった山本さんと、バツイチで12才と10才の息子を持つ31才年下の由美子さんの再婚は、世間を大きく賑わせた。

 結婚から7年後の2014年2月に山本さんが肺胞出血でこの世を去った時、由美子さんは遺骨を前妻の眠る墓に納めて、一部から「前妻に押しつけた」と激しいバッシングを浴びた。当時の胸中を由美子さんはこう語る。

「あのお墓は、前妻の明子さんが亡くなった時、山本が一緒に入るつもりで建てたお墓です。山本の実子とも話し合い、私としては彼がそこに入るのは当たり前という思いでした。実は生前、気遣った山本から『分骨しようか』と提案もされたのですが、私は前妻とのお墓をお参りすることになんのためらいもないのでお断りしました」

 墓は相続税がかからない「非課税財産」だ。死後に購入すると課税されてしまうため、生前に購入しておく方が節税対策になるが、由美子さんの、「私は自分のお墓を構えるつもりはないので」という考えもあり、新たな墓は準備しなかった。

「山本は再婚するまでの11年間、ゴルフや宴席などで派手にお金を使っていたので、財産はほとんど残っていませんでした。結婚前から私は彼に、『最期の瞬間まで一緒にいるから』と話していたのですが、家族でなければ、いざという時の手続きができません。入籍したのはそういったことも後押しになりました」(由美子さん)

 再婚後、夫妻はまず、生活基盤を固めるため、山本さんの友人が多い千葉に新築戸建てを購入した。

「資金はふたりで出し合いました。ありがたいことに山本は、“自分がいなくなっても由美子と子供たちが不安にならないように”と、私の名義にしてくれました」(由美子さん)

 現役時代と比べ収入が減る老後の暮らしで大切なのは、「生活のダウンサイジング」だ。由美子さんは山本さんと確認し合いながら、暮らしをコンパクトにまとめた。

「複数あった銀行口座は、銀行とゆうちょ銀行のみに。クレジットカードも1枚にしました。ゴルフの会員権もかなり整理しました」(由美子さん)

 中でも大変だったと語るのが、年賀状の整理だという。交友関係の広かった山本さんは、毎年2000通を超える年賀状を送っていた。

「うろ覚えの人も多くて、相談しながら500枚くらいに減らしました。お歳暮、お中元も毎回3桁は贈っていたのですが、『たとえば旅行のお土産をお渡しするとか、違う形でもいいんじゃないの?』と話し合って。嫌な顔ひとつせず話を聞いてくれたことがありがたかったです」(由美子さん)

 しかし、その交友関係の広さこそが、由美子さんが「お金以上」と感謝する財産となった。

「結婚後の山本は、仕事もプライベートも常に私を付き添わせ、誰にでも私を紹介してくれました。山本の交友関係を把握できたことで、お別れ会の案内などがスムーズに行えたのはもちろん、みなさんとのおつきあいは今でも続いています。現在の仕事も、そのつながりからなんです」(由美子さん)

 亡くなった夫の人生を継ぐことで、妻の新たな人生が開いた。

※女性セブン2019年3月28日・4月4日号


石田ゆり子、鈴木京香、沢尻エリカらが通う共通の場所

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スポーツジムに通う石田ゆり子

 桜の開花宣言目前の昼下がり。東京都心の高級住宅街に建つビルから、石田ゆり子(49才)が男性にエスコートされて出てきた。紺色のスプリングコートに、大きな白いショルダーバッグを掛け、手にはキャンバストートをぶらさげている。髪の毛を無造作にまとめ、すっぴん。だが、“奇跡のアラフィフ”のオーラはもちろん、肌はいつも以上に赤みを増し、輝いて見えた。石田は胸板の厚い30代半ばの男性に見送られながら、颯爽とビルを後にした。

 それからすぐ、黒いスパッツに紺色のパーカという超リラックススタイルの鈴木京香(50才)が、同じビルの中へ入っていった。と思えば、ほどなく現れたのは沢尻エリカ(32才)。ショートパンツに、スカイブルーのビッグカーディガンと華やかな印象だが、やはり髪の毛をラフにまとめ、妙にスッキリした表情でビルを後にした。

 看板らしきものもなく、一見すると普通のマンションのよう。名だたる女性芸能人たちは、なぜこの場所に集っているのか。

「実はこのビルには今人気のスポーツジムがあるんです。石田さんたちのほか、土屋太鳳さん(24才)、カリスマモデルの滝沢眞規子さん(40才)、紗栄子さん(32才)もよく見かけますよ」(ジムを利用する40代女性)

 入会金は5万円ほど。トレーナーとマンツーマンで行う、パーソナルトレーニングが人気だという。

「1回90分で1万円ほどです。人気カリスマトレーナーにマンツーマンレッスンをしてもらうと1回2万~3万円になります。180分のレッスンを受ける人も少なくありません。決して安くはないですが、トレーナーはほとんど取り合いの状態で、予約はすぐに埋まってしまいます」(前出・ジムを利用する40代女性)

 最新機具が揃うわけではなく、フローリングの一室で、体一つでトレーニングは行われる。最新の運動生理学と脳科学を融合させ、メンタルとフィジカルの両方にアプローチをする独自の方法だ。

「普通に生活しているだけではしないような動きで、筋肉を鍛えていくんです。たとえば逆立ちしながら開脚をしたり、四足歩行で歩いたり。

 負荷の軽いストレッチや一見単純な動きでも、いざやってみると、動かしたことのない筋肉にじわじわ効いているのがわかります。このジムにいった翌日は筋肉痛がスゴいんです。筋肉ムキムキの体ではなく、しなやかな“美ボディー”になれると評判です」(前出・ジムを利用する40代女性)

【動画】純烈 「路上プロレスで石灰浴びながら歌った」過去

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 紅白出場アイドルとして、“スーパー銭湯アイドル”として全国区の人気者になった純烈。実は……。

 

登下校中に地震が起こったときの最善な行動

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登下校中に地震が起こったときの最善な行動


大きな地震が日本各地で発生しています。地震はいつどこで起こるかわかりません。特に子どもが入学すると、一人行動の時間が増えるため親は心配です。今回は、子どもの登下校中に地震が起こったときにとるべき行動とその準備についてお話しします。

登下校中に地震が起こるとこわい理由

登下校中に地震が起こったときには、学校や自宅のように最善な行動を指示してくれる大人が隣にいません。また、登下校中は想定外のことも多く、建物内とは違ったこわさがあるのです。まずは、登下校中の地震のこわさがどこにあるのかを考えてみましょう。

頼れる大人がそばにいないため不安になる

地震が起こると大人でも誰かに頼りたくなるものです。子どもならなおさらでしょう。しかし、登下校中に地震が起きたときには周囲に大人はいません。特に下校中は一人で歩いている子どもも多く、冷静ではいられなくなってしまうかもしれません。何かが起きたとき、一番こわいことはパニックなってしまうことです。登下校中の地震には、パニックを起こすこわさがあります。

最善な行動を子どもが判断しなくてはならない

学校にいるときに地震が起これば、先生の指示に従い、避難訓練通りの行動をとることができます。自宅で地震が起きたときでも、事前に教えておけばテーブルの下にもぐることができるでしょう。しかし、登下校中の地震は、起きてみなくては周りに何があるのかわかりません。そのときその場で最善な行動を子どもが瞬時に考えなくてはならないのです。登下校中の地震には、子どもの判断力によっては間違って行動をしてしまうこわさがあります。

地震にあう場所が特定できない

地震が起こったときの最善な行動は、場所によって違います。学校や自宅ならば机の下に避難したりと、とるべき行動がわかりやすいです。しかし、登下校中は通学路のすべてが地震にあう可能性のある場所になります。一歩手前まではブロック塀の危険があり、一歩進めば看板落下の危険があるという通学路もあるのです。登下校中の地震には、範囲が広すぎて、対策がとりづらいこわさがあります。

地震がくる前にできる「最善な行動」の準備

登下校中の地震に限らず、地震や災害が起きたときに最善な行動をとるためには、事前の準備が大切でしょう。ここからは、登下校中の地震に備えてできる準備についてお話しします。

通学路の危険な場所をみつけて対処する

通学路は、できるだけ安全な場所を通るように考えられてはいますが、危険がゼロではありません。大人が前もって通学路にある危険を取り除いておけば、登下校中に地震が起こったときの危険も減らすことができるのです。通学路にある危険箇所は、みつけてもすぐに対処できないこともあります。自治体や教育機関に掛け合い、改善されるまでに時間がかかることもあります。危険な場所をみつけたら、すぐに行動に移し、少しでも早い対処を目指しましょう。

イメージトレーニングをして心の準備をする

子どもは「登下校中に地震は起きない」と思っているかもしれません。想定外のことが起こると、人はパニックになってしまうものです。親子で通学路を歩くときには「ここで地震が起きたら自転車が倒れてくるかもしれないね」と、恐怖をあおらない言葉を使ってイメージトレーニングをしてみるといいでしょう。「これは今にも落ちそうだ」「ぶつかったら終わりだ」のような恐怖をあおる言葉は、逆に恐怖心を持たせるだけです。危険と対処方法はセットにして伝えましょう。イメージトレーニングを繰り返すことで、とっさのときの判断力がついてくるのではないでしょうか。

最初にとるべき行動をひとつに絞って教える

いざ地震がきたとき、避難訓練通りの行動をすべて完璧にできるとは限りません。子どもは「地震かな」と様子をみたり、体が固まってしまったりして、ほとんど動けないこともあるのです。しかし最初の一歩が踏み出せると、その後は冷静さを徐々に取り戻せることがあります。「ここでは反対側に逃げる」「ここではしゃがむ」と通学路のポイントごとにとるべき行動を指示したくなりますが、いざというときには頭が真っ白になるものです。登下校中に地震が起こったときには、冷静さを取り戻すためにも、共通して最初にとるべき行動をひとつに絞って教えておく方が効率的なのかもしれません。

登下校中に地震が起こったときの最善な行動

登下校中に地震が起こったとき、冷静さを取り戻すまでの数分がとても重要です。最後に、地震発生直後の最善な行動を三つ紹介します。大人ができる事前の対処をしつつ、登下校中に地震が起こったときの最善な行動を子どもにしっかりと伝えておきましょう。

親も子も自分の身の安全を第一に考える

大きな地震が起こると、親は子どもを心配し、子どもは親を心配します。心配するあまり、冷静さをなくして危険な行動をとってしまうこともあるのです。地震直後は、街も人も混乱しますが、しばらくすると落ち着きを取り戻していきます。一人一人が自分の身を守っていれば、いずれ会うことはできるのです。親が子どもに「地震が起きたらママはきちんと自分の身を守るから大丈夫だよ」と伝えておくと、子どもも落ち着いて行動することができるのではないでしょうか。

ランドセルやバッグで頭を守りしゃがむ

子どもは、地震に気がついても、すぐにとるべき行動がひらめかないかもしれません。登下校中は、上からの落下物から頭を守る必要があります。子どもには、とにかく登下校中に地震が起こったら「ランドセルを頭にのせてしゃがみなさい」と教えておくと、どこにいても最初の一歩を踏み出すことが可能です。しゃがみながら周囲の状況をみて、次にとるべき行動を考えることができます。

助けを求めて安全な場所に避難する

地震がおさまったら、安全な場所に避難します。「安全な場所」は、いつも同じ場所とは限りません。子どもに「登下校中に地震が起きたら小学校に行きなさい」と教えておくと、途中の道で火災が発生していたとしても、子どもは小学校を目指してしまうものです。「安全な場所」は、いくつか伝え臨機応変に選べるようにしておくといいでしょう。子どもだけで判断がつかないときには、大人に助けを求めることも最善な行動のひとつです。子どもは人に助けを求めることを恥ずかしいことと思っていることがあります。「助けてください」ということは、恥ずかしいことではないということも伝えておくといいのではないでしょうか。

おわりに

大きな地震は必ずやってくるといわれています。そして、実際に登下校中に大きな地震は起こっているのです。最善な行動は、地震が終わってから気がつくことがほとんどかもしれません。すでに起きた地震や災害から学び「危険の少ない通学路にしていくこと」「子どもに自分の身を守る大切さ」を伝えることが最善な行動につながっていくのではないでしょうか。

※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。ご了承ください。

新年度相場スタート 1年間の買い場はどの月になるのか

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日本株の買い場はどのタイミングになるのか?


 4月から新年度相場のスタートとなるが、季節毎に相場はどのように動く傾向があるのだろうか。1年間の相場のアノマリーについて、カリスマ主婦トレーダーとして知られる池辺雪子さんが解説する。

 * * *
 今回は年間の相場のアノマリーについて、買い場となりやすいポイントをご説明致します。

 まず3月というのは多くの日本企業の本決算月となります。つまり、一旦持っているポジションを利益確定や損失確定をして、リスクアセットのポジションを外し、本決算に備える動きが出てきます。

 そのため3月は「彼岸天井、彼岸底」という言葉もあるように、1年の大きな動きの中でも、日本株が下落しやすい時期となっています。

 次に覚えておくべきことは、企業運用担当者や機関投資家の動き方です。4月から新年度になり、新たな方針をもって各社が動き始めることになります。相場への影響を考えると、当然ながら、一旦外したポジションを再度作り直しに行くという動きも想像できます。

 とはいえ、4月1日からいきなりポジションを作ってくるわけではありません。企業にお勤めの方にとってはわかりやすいかもしれませんが、基本的には運用に関しても上長の決裁印をもらってから動き始めます。

 まず運用担当者が運用銘柄や手法を提案、そして直属の上長の決裁をもらい、さらに運用部長等、管理職をマネージメントしているクラスの決裁までもらった段階で、初めて新年度の運用がスタートになります。

 そのため、早くても4月の最初10日間程度は、大きなポジションを作れないと想像できます。そうした点を考慮すると、3月に株価が下落したところで拾って買っておくという戦略もあるでしょう。もちろん資金管理を徹底し、精神的な負担となるような大きなリスクはとらないことが前提となります。

◆買い場を探すための夏場までのポイント

 それでは、今後の日本株の「買い場」はどこになるでしょうか。まず一つ目の買い場は、上記でご説明した「新年度に入り、各企業や機関投資家の運用担当者が動き始めるまでの4月10日前後まで」となるでしょう。

 そして次にポイントとなるのが8月です。これは例年、「長期休暇に入る投資家が多いためポジション調整から下落しやすい」と言われており、特にお盆の20日から23日に安値をつけることが多いと言われています。

 また、9月は多くの日本企業の中間決算月にあたります。その辺りをターゲットに日本株が上昇しやすい環境になることも多いため、お盆辺りで下落すればよい買い場となるかもしれません。

 特にくりっく株では、9月に保有していれば1枚16,000円程度の配当が入ることもあり、配当取りの動き方があることも頭に入れておくと、よいと思います。

 ちなみにこれまで私が相場と向き合ってきた経験上、3月と8月に高値をつけたケースはほとんどないため、こうしたアノマリーにも整合性があると考えられるかもしれません。

 このように相場の1年間の動きの癖というのは、意外と大切ですので、頭に入れておくとよいと思います。是非みなさん利用していただき、投資の一助となれば幸いです。

【PROFILE】池辺雪子(いけべ・ゆきこ):東京都在住の主婦。若い頃から株や商品先物投資を学び、2000年からFX投資を始め、これまでに8億円以上の利益をあげている敏腕トレーダー。2007年春、脱税の容疑で起訴、同年夏、執行猶予刑が確定。その結果、所得税、延滞税、重加算税、住民税、罰金(約5億円)を全て即金で支払う。2010年9月に執行猶予が満了。現在は自らの経験をもとに投資、納税に関するセミナー、執筆活動を行っている。トルコリラ/円、ドル/円、他通貨、日経平均株価などの値動きに関する詳細な分析を展開する「池辺雪子公式メルマガ」も発信中(http://yukikov.jp/)

元横綱双羽黒の北尾光司さん死去、55歳 優勝ゼロ、師匠とトラブルで廃業

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元横綱双羽黒の北尾光司さん死去、55歳 優勝ゼロ、師匠とトラブルで廃業


 大相撲の第60代横綱双羽黒の北尾光司(きたお・こうじ)氏が、2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため千葉県内の病院で死去していたことが29日、分かった。55歳。三重県出身。妻の淑恵(よしえ)さんが明らかにした。故人の生前の希望で2月中に家族葬が執り行われた。

 中学卒業後、立浪部屋に入門。本名の「北尾」をしこ名にし、15歳だった昭和54年春場所で初土俵を踏んだ。身長は2メートル近く、寄りや投げ技を得意とし、59年秋場所で新入幕、60年九州場所後に大関となった。優勝経験がないまま、61年名古屋場所後に22歳で横綱に昇進し、部屋の先輩横綱である「双葉山」と「羽黒山」のしこ名から「双羽黒」へ改名した。

 24歳だった62年暮れに若手の指導をめぐって師匠(元関脇羽黒山)と対立して失踪。大みそかに現役引退した。横綱在位は8場所。優勝経験がないまま角界を去り、横綱昇進がより慎重に判断される契機になった。

 廃業後はプロレスラーなどとして活動。平成15年には立浪部屋のアドバイザーに就任していた。25年から腎臓病を患い、闘病生活を送っていた。

 淑恵さんは「何かと世間をお騒がせしましたが、主人は曲がったことが大嫌いな、とてもピュアな人でした」などとする談話を発表した。

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